「命の連続性」という神秘に魅せられて。女性の一生に寄り添う医療を【医師 志村 研太郎】
目次
命のつながりに魅せられて、産婦人科医への道へ
── まずは、志村先生が医師を目指されたきっかけ、その中でも特に産婦人科を選ばれた理由をお聞かせください
自分の親が医師というわけではなく、医師としては私が初代になります。
元々は生物学が好きで、生物学者になりたいという気持ちがありました。進路を考える際、人間という生物の営みに関心を持ち、生物学の一環と考え医学部に進むことにしました。そのため進学した当初は、臨床医ではなく、基礎医学である生化学分野の研究者になろうと思っていました。
しかし、産婦人科の実習の中で師匠となる先生に出会い、「生物学としての産婦人科学」の可能性を感じました。
他の科は、病気の予防・診断・治療など、一人ひとりの健康や命を守る「個体の保存」を担っています。産婦人科は「種の保存」、つまり親から子へと遺伝子や想いが受け継がれていく生命の営みそのものを扱います。
妊娠や出産を含めて「子孫を残していく」という生命現象に強く惹かれたことが、この道を選んだ理由です。
── まさに産婦人科ならではの、命が続いていくという点に興味を持たれたのですね。実際に産婦人科医になられて、良かったと思われる瞬間はどんな時でしょうか
卒業後は、主に出産を取り扱う周産期を専門として長く勤務してきました。大学病院を離れる前の数年は不妊治療分野のチーフも務めていましたので、産婦人科の中でも「未来へつながる生命の営み」に深く携わってきたといえます。
一番嬉しいのは、不妊治療を経て妊娠に至り、無事に出産まで立ち会って、ご家族に「おめでとうございます」と言える瞬間です。その関わりに、医師として一番のやりがいを感じていました。
── 長きにわたり大きな病院で勤務された後、この梅田の地に開業された経緯をお聞かせください
開業前は、大阪市北区にある住友病院で15年間勤務していました。
勤務する中で、女性の一生にわたる健康管理を広い範囲でサポートしていくには、病院という枠組みでは限界があるとも感じていました。また、病院には定年がありますが、開業すれば産婦人科医としての仕事をより長く続けられます。個人のクリニックとして、患者さんと直接向き合いながら息の長い診療を続けたいと考え、開業を決意しました。
この梅田という場所を選んだのは、通勤経路に組み込みやすく、働く女性にとって「かかりつけ医」としてアクセスしやすい環境だからです。様々な年代やライフステージにある女性の健康を、総合的にサポートできる最適な場所だと考えています。

(https://shimura-wc.com/)
「聞くこと」から始まる信頼関係。変わりゆく女性のライフスタイルと共に歩む場所
── 先生が患者さんと向き合う上で、心がけていることや大切にされていることは何でしょうか。
まずは「聞くこと」です。患者さんの悩みや訴えにしっかり耳を傾けることを心がけています。それから「説明」をしっかりすることですね。
患者様が何を求めて来院されているのかをくみ取り、疑問や不安に対して、時間をかけてわかりやすい言葉でお話しすることが最も重要だと思っています。私自身、話すことが好きなので、こちらが一方的に喋り過ぎないように気をつけています。
── 開業されて18年ほど経ちますが、患者さんの傾向や、クリニックとしての変化はありますか
梅田という土地柄、開業当時から近隣でお仕事をされている20代から50代くらいまでの方が多いですね。立地を活かし、お仕事の合間やお帰りの際に立ち寄りやすい環境を整えています。
開業当初は、妊娠前から出産まで一貫して診たいという思いがあり、産科オープンシステム※を利用して、近隣の病院で私がお産を取り上げることもしていました。しかし、体力的な問題や社会全体でお産件数が減っていることもあり、現在は妊婦健診のみを行い、分娩は提携先の病院へお任せする形をとっています。
開業時と比べると、当院で診る妊婦健診の数も減っており、その点には少し寂しさも感じています。
※産科オープンシステム:妊婦健診は診療所で受け、分娩は設備の整った病院で診療所の医師立ち会いのもと行う仕組み


親子二代で紡ぐ、不妊治療の「入り口」から「出口」をつなぐネットワーク
── 2024年からはご子息の宏太郎先生も一緒に診療されていると伺いました。お二人で診療されるようになって変わった点はありますか
現在、息子が取り組んでいるのは、不妊専門クリニックと一般クリニックとのネットワークを作ることです。
当院のような一般クリニックでは、高度な体外受精などの最先端治療を行うことは設備的に難しい部分があります。そこで、一般クリニックに来た患者さんを最適なタイミングで専門クリニックにつなぐ。あるいは専門クリニックに通っている方でも当院でできる処置があればお手伝いをする、そういった協力体制を強化しようとしています。
元々、病院と診療所の「病診連携」は行っていましたが、さらに踏み込んだ連携を目指しています。
当院は、様々な病院と連携しやすい「ハブ(中心)」のような立地にあります。どのエリアにお住まいの方にも適した医療機関をご紹介できる強みを活かし、診療の最初の窓口となる「入り口」から、専門医への紹介やフォローアップといった「出口」まで、一貫して担当できる地域のクリニックでありたいと考えています。
彼は今、不妊症専門のクリニックに勤務しながら当院を手伝ってくれていますので、今後は「プレコンセプションケア(妊娠前の健康管理)」も含め、クリニックでできる範囲で力を入れていきたいですね。
生物学的な「適齢期」と現代社会のギャップ。自分の体を守るための選択を
── 最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
特に知っていただきたいのは、女性の体に備わっている生物学的な「妊娠適齢期」と、現代社会におけるライフスタイルの間には、どうしても「ずれ」が生じているという事実です。
私が医師になった頃、「高年初産」の定義は30歳以上でした。現在は日本人の平均初産年齢が上がったため35歳となっています。しかし、医学的・生物学的な視点で見れば、加齢に伴うリスクは昔も今も変わりません。
また、100年前の女性と現代の女性とでは、一生に経験する月経の回数が劇的に異なります。かつては生涯で40回程度だったものが、現代では450回から500回ほどにもなると言われています。
月経困難症やPMS(月経前症候群)の治療が難しい点は、ホルモンが正常に働いているからこそ、その変動によって症状が現れてしまう点にあります。しかし、たとえ10代の若い方であっても、月経困難症で苦しんでいるならば早めに治療を始めることが、将来の子宮内膜症や不妊症の予防につながります。
現代を生きる女性は、時代や社会の変化に応じ、心身の負担を和らげ、自分自身を守る方法を考えていく必要があります。早めにご相談いただければ、必要に応じて高度な医療機関へ紹介するなど、適切な道筋を示すことも私たちの役割です。いきなり内診をすることはありませんので、どうぞ安心してご相談ください。

── 先生のリフレッシュ方法を教えてください
最近の楽しみは、美術館巡りですね。
実は元々は船乗りに憧れていた時期もありまして。北杜夫さんの『どくとるマンボウ航海記』に影響を受けて、船医という仕事も素敵だなと夢見ていました。
結局は陸の上の医師の道を選びましたが、海への愛着は変わらず、70歳頃まではスキューバダイビングを続けていました。海外も含め、様々な海の世界を十分に堪能してきました。
以前はドライブなどアクティブに動くことが多かったのですが、今は少しペースを落とし、静かに過ごす時間に安らぎを感じています。年齢とともに趣味の形は変わっていきますが、知的好奇心を満たす楽しみは尽きませんね。
(2025年12月)
※ 本記事は、取材時の情報に基づき作成しています。各種名称や経歴などは現在と異なる場合があります。時間の経過による変化があることをご了承ください。



